よくある質問

トルコへの1人旅が不安という方がいらっしゃいますが

ストレスフリーの安心の1人旅をお約束します。内容は以下のとうりです。エステセンタージャパンは国内のクリニックと比べてトルコに渡航することが不安とされているかたはご安心ください。成田からイスタンブール到着したら出口は1つ日本からの飛行機が到着前にエステセンターの専属ドライバーさんがネイムカードをもって待っていてくれています。あなたはご自分の名前を見つけるだけです。

そのままホテルへ送迎し翌日または当日のオペまでの時間はリラックスしていただきます。特別な医療ツーリズムなので通訳さんは常に同行してくれます。日本人よりはるかにやさしくて皆さんトルコが大好きになって帰国しています。トルコ・エステセンターの医療スタッフについて知りたい 医療スタッフプロフィールを紹介します

日本語は通じますか?と聞かれますが通訳はこちらです

通訳担当ハムザさんと日本人の患者様
ハムザ セイハン(左)
1996年生まれ、現在21才
イスタンブール在住
日本語能力試験N1(一級)所有者
トルコ政府公認通訳士
通訳担当のオメルさん、帰化したので日本人ですよ!
オメル ペルシン
1994年生まれ24才
イスタンブール大学在学中
1才から15歳まで日本で暮らしていました。
2003年日本国籍取得

オメルさんは今イスタンブールのサッカーチームの
ガラタサライに所属している日本代表の長友佑都選手の通訳も兼任していますので 言葉の心配はありません。
通訳担当の北山さん
北山恵美子
日本人
元トルコ大使館勤務
イスタンブール在住14年
イスタンブールでは日本商社、日本人学校に9年間勤務
日本人ならではの細やかで
お客様の立場に立った丁寧な対応を心掛けます。
院長のイブラヒム先生

CEO イブラヒム・チェビック 
1978年生まれ
1998年から毛髪移植分野に携わり
イブラヒム氏はトルコでの最初の研究に参加し
これまで14年間で1万人以上の植毛手術に
成功してきました。
世界で植毛分野での開発も築いて参りました
これまで数多くのニュースやテレビ番組に
植毛の専門分野のゲストとしても
協力してきました。
2007年にエステヘア植毛センターを設立し
トルコで世界ナンバー1の自毛植毛技術提供に
重要な役割を果たして参りました。
今後もヨーロッパ、中東、アジアからも
患者を受け入れ失われた髪を
取り戻す協力を続けます。
エルクット先生

エルクット・オズタマル医師
自毛植毛体験ドクター
1972年9月9日生まれ
既婚子供あり
学歴1997年トルコマルマラ大学医学部卒業
 トルコイスタンブール医学商工会議所会員
ブルサ形成外科、外科学会会員
海外の病院での勤務経験を積んだ
自毛植毛のプロフェッショナル医師です。

トルコと日本の深いい話

なぜ?トルコは世界一の親日国なのか?

トルコが日本を大好きな理由

明治に起こった「エルトゥール号事件 」

この事件をトルコ全土の小学校の教科書で小さな子供に日本人の行動をたたえています。子供に日本人の行動をたたえています。トルコ人に世界で一番好きな国はどこですか?と聞いたらみんな「日本」と答えてくれる理由の1つです。

60か国を旅したライターが「親日だ!」と感じた国7選

60か国を旅したライタ

トルコ

60か国を旅したライターが「親日だ!」と感じたトルコのカパドキア

世界屈指の親日国といわれるトルコは、その評判に違わずあたたかいおもてなしが受けられる国。イスラム教には「旅人に親切にせよ」という教えがあるからか、もともと旅行者に親切な人が多いトルコですが、日本人とわかるとさらに歓待してくれることが少なくありません。

通りすがりのカフェや土産物屋、食事をしたローカルレストランで、無料でチャイを振る舞われた経験は数知れず。日本人だからと特別に宿泊費を安くしてくれたり、ランチを半額にしてくれたりしたこともあります。

それに加え、日本や日本人への賞賛を聞かされることもしばしば。世界各国からの旅行者を迎えているアンタルヤで宿泊したホテルのオーナーは、「日本人は勤勉で親切。我々がお手本にすべき人たちだ。」と語ってくれました。

トルコにおける親日感情は、1889年のエルトゥールル号事件に端を発するといわれます。当時トルコが明治政府に派遣した親善使節を乗せた船が台風に遭遇して沈没。近隣住民が必死で救援活動を行った後、明治政府が69名の乗員をトルコまで送り届けたのです。

1985年のイラン・イラク戦争下では、テヘランに残された200人以上の日本人をトルコ航空が危険を顧みずに救出。それに対し、当時の駐日トルコ大使は「エルトゥールル号の借りを返しただけです」とコメントしています。

筆者が2015年にトルコを訪れた際、トルコ情勢の不安定化に伴って日本人観光客が減少していたことから、現地の人々からは「もっと日本人に来てほしい。」という声が聞かれました。